第93回五月祭,当初日程での開催を断念

2020年4月8日,東京大学ウェブサイトで「令和2年度(第93回)五月祭の中止」が通知されました。一方,第93期五月祭常任委員会は「当初日程[…]での開催を断念」「年度内の延期開催を目指します」としています。

1923年に第1回「大園遊会」が開催されて以来,五月祭(その前身となった行事を含む)の中断は,全部で3回ありました。

最初の中断は1928年。誕生以来5回を数えて学内に定着した大園遊会でしたが,主催団体であった帝国大学学友会が思想対立を原因とする内部分裂をきっかけに解散し,開催が途絶えてしまいました。これによる1年間の中断を挟んだ後,1929年には再び各学部学友会の連合体の手で全学開放(連合学部会)として再開されました。

2度目の中断は1944年から1945年。戦況悪化の中,1943年10月に文科系学生の徴兵猶予が解除されて学徒出陣に至ると,翌年は全学会五月祭の開催が叶いませんでした。終戦の翌年,1946年には五月祭が再開されたことがわかっています。

3度目の中断は1969年。東大紛争による安田講堂事件(1969年1月)が起きた年です。一般的には東大紛争の余波で学内が混乱していて五月祭を開催できる状況になかった,というように理解されがちですが,実際には紛争の過程で起きたストライキにより駒場生の本郷への進学が遅れ,五月祭常任委員会が発足できなかったことが直接の原因でした。東大新聞は「新3年生を迎えたうえで秋にも開催する模様」と報じましたが,結局は延期が決まったまま開催されず流回となり,第43回五月祭は第42回五月祭の2年後となりました。

そして,今回。新型コロナウイルスの感染拡大を受け,入学式も中止となった春。五月祭にもその影響が及ぶのは必然でした。

大学は「代替案の可能性を大学側と五月祭常任委員会で検討する予定」と,五月祭常任委員会は「年度内の延期開催を目指します」としています。この先の展開がどうなるのかは,まだ誰にもわかりません。

とにかく,やむを得ない事態とはいえ苦渋の決断に至らざるを得なかった五月祭常任委員会の心労はいかばかりかと胸が痛みます。

2020年4月15日五月祭, 学園祭の歴史